06/11/29(水) 18:25
カポーティ
ストーリー・
1959年11月15日。カンザス州ホルカムでクラッター家の家族4人が、惨殺死体で発見される。翌日、NYで事件のニュース記事を見た作家トルーマン・カポーティは、これを次の小説の題材にしようと決心。幼馴染みで彼の良き理解者の女流作家ネル・ハーパー・リーを伴い、すぐさま現地へ向かう。小さな田舎町は前例のない残酷な事件に動揺していたが、やがて2人の青年が容疑者として逮捕された。カポーティは事件の真相を暴くべく、拘留中の彼らに接近していく。
感想・
―たった二人の人間から浮かび上がる人間の感情―
たいていの伝記映画で描かれるものはその主人公の子ども時代から、いかにして偉業を成し遂げたか。そんな美談で埋め作られ結局【えらいひと】と一つにくぐられてしまう。見ている方はその【えらいひと】の美談しか垣間見れない。人間だもの人生美しい談話だけでは済まされない訳で、どんな聖人にも心の闇というものが存在している筈である。簡単だが、それが人間という生き物であるからだ。
そんな当たり前の人間を美談で包まずに描いた映画が本作である。
「ティファニーで朝食を」で有名な作家トルーマン・カポーティの生きた一つの時間を切り取り、簡単な美談では済ませない【人間】をカンザスの荒涼とした風景に合わせて描かれた本作。
一つの殺人事件をノンフィクションとして描こうと取材を始めたカポーティがしだいに容疑者ののめりこみ、ついには情まで出始めてしまう。容疑者と二人で居る空間では全てを曝け出すのに対し、作家仲間達とつるむ時は容疑者の事を下げてみてしまう。映画の中ではこれを「冷血」のタイトルと絡めて見せてくれるが、実際こんな状況は我々の実生活でもどんどん出て来る筈だ。友情と思っていた感情が実は裏切りだったり、しかしそんな裏切りでも当人の前では仮面を被ってしまう。一度仮面を被ってしまうと真の自分を見失い、嘘偽りが後からついてくる。
こんな先の読めない行動をカポーティが体現、色んな情感が浮かび上がってくる。人間とは難しいものであるが、こんなに感情が複雑なんだとたった1つの事件で炙り出されてくる。
勿論功労者はカポーティ演じたフィリップ・シーモア・ホフマンで、カポーティの事を殆ど知らない自分でも彼の動きと口調に圧倒される。中でも狡賢い冷血動物が温血動物へと変わるラストには圧巻。スクリーン独り占めのワンショット(被告との最後のシーン)、シーモア・ホフマンのアップだけで浮かび上がる感情の多いこと。
一度も感情に動かされずにカポーティを第三者の視点から描いたベネット・ミラー監督の手腕も題材に反してはオーソドックスだ。だがこの淡々とした空気こそカンザスの殺人事件とゴージャスなセレブリティ作家の世界の橋渡しに一役買っている。エキセントリックに感情に動かされる作家性が濃い監督よりも彼の冷めた目線がカポーティの侮れない人間性にピッタリなのかもしれない。
【画像はアメリカ版ポスター】
カテゴリ:映画感想文
- まかろに 06/11/29(水) 21:38
- これも観てない(笑)
フィリップ・シーモア・ホフマンはレッド・ドラゴンとかその他色々だと…ねぇ... - ジム 06/12/10(日) 23:14
- >まかろにさん
僕の中でのホフマンはやっぱアンダーソン組みにいるときかな。
変態な『ブギーナイツ』と『ハピネス』時代から目を光らせてきたので今回のオスカーは嬉しかったな〜
| 弓 ≪ 06/11/29(水) 18:21 | ≫ ライアンを探せ! 06/11/29(水) 18:44 |